思い出のページ 

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③「勝手に咲いた黄色い花」

本日 天気晴 気温13℃ 気持ちの良い晩秋の昼休み。

25年程前の今日の様な日、当旅館組合の全経営者8人が特別な議題も無く月例会を開いて居りました。

誰からとも無く、高野牧場跡地(当高原に来る途中に通り抜ける大草原)に年中花が咲いて居ればいいなー。

勝手に花の種を蒔くかー。
種代金一人2万円でどーだ。
早速取引先の花造り農家に電話して、花の種16万円分注文。
「そんなのダメですよ」と云われるも強引に「やって見なければ分からん」。

で数日後。
届いた種を持って全員で現地に。
各々バケツに入れた種を持って、草地に入る。
「まー何て広いんだ」とボヤキつつ、勝手に花を咲かせたい好みの場所を探して、始め~。

ある者は”花咲か爺さん”のごとく思い切りぶん蒔き、又ある者は指先でつまんでパラパラと、靴底でならしたり、枯草をかぶせたり、全員真剣に作業をしました。

さて次の春、雪融けを待って結果を探すも、唯の一輪も花の姿無し、夏迄待っても全然無し。

この事については以後誰も口にせず。
ところがその又翌年のこと、種蒔きをしなかった場所に黄色い花が一面に咲いているではないですか。
どうした事かと町役場の担当者に尋ねると、「たぶん」しばらく前に牧草の種を蒔いたので、その中に混入した外国産の種が開花したのではないかとの事。
大自然は偉大なり。

「勝手に咲いた黄色い花」。

②「被災者2次避難所の運営」

本日、宮城県女川町より安住町長さんが当地にいらっしゃいました。
本年4月より女川町で被災なされた町民の方々160人が田沢湖高原温泉郷の各旅館に滞在して、現在はほとんどの方が女川町の仮設住宅に移りましたのでという事で、超多忙の中各宿舎を廻って下さいました。
私共の方が恐縮いたすところですが。
重ねて、女川町名産の「高政の笹かまぼこ」のおみやげをいただきました。
これは一軒だけ無事であったお店の製品で、身が厚くておいしいのです。
ありがたやー。

皆さんには半年近く滞在していただいたのですが、町長さんとお話して何かしらの結果を残す事が出来たかなと感じました。

初体験の避難所運営の中で、ある時田沢プラトーホテルの佐々木社長が、ポツリと「旅館をやってて良かった」とつぶやくのを聞いて、宿のオヤジの初心に戻った思いでした。
「あなたが喜んでくれれば、同じ位い私も嬉しい」。

又、9月の下旬に「久し振りー」「今朝女川に揚がったサンマだよー、目黒のサンマよりうまいから食べてねー」とサンマをドサッと届けて下さった女川の皆さん8人。
「皆んな元気にやってるから....仮設だけどね」。
いやはや、元気をもらうとはこういう事かと思いました。
ありがたやー。

①「駒ケ岳噴火のころ」-2

本日(2011.10.12)秋田さきがけ新報の記事を転載します。
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秋田駒で200㍍の噴気 9月
秋田駒ケ岳(秋田、岩手県)女岳で9月に200㍍の噴気が、北東斜面や北斜面では新たな地熱域が確認された。
直ちに噴火する兆候は認められないが、今後の活動の推移に注意が必要。
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41年前(1970年9月初旬)にも同様の記事が報道された事を記憶して居ります。
・・・・と云う事となれば、昔し話しは短くして、今回の噴火をライブでお伝えする事になりそうです。

まずは大急ぎで「41年前の事」
日に日に噴火の回数が多くなり、同時に規模も大きくなり、溶岩の噴出と溶岩流の流出も起こりました。
その様子は連日TVニュースの特番報道となり、見物客はさらに増えて、田沢湖温泉郷は大賑わい(大混乱?)となりました。
(我が家「田沢高原ホテル」は改築工事中で営業不能、残念)

ニュース画像のヒットは「ドーナッツ状の噴煙」でした。
タバコの煙りの輪状態の巨大な噴煙リングが4つか5つ連なって青空に昇る様は雄大でユーモラスな画像でした。
これは1回きりです。

そしてまもなく雪の季節を迎える頃には見物客も少なくなり、12月下旬には噴火も終息してスキーシーズンを迎える事となりました。
この間身の危険を感じる事は無く、いつでも行けると思って登山を1日延ばしにして居た筆者は噴火口をのぞきそこなりました、残念!!

今後の噴火も同様であってほしいと願いつつ昔し話しを終わります。

①「駒ケ岳噴火のころ」-1

この度 「秋田駒ケ岳(1637m)3年以内に噴火の予測」との報道あり
前回の噴火は1970年9月の出来事でした。
筆者は当時 宿屋のオヤジ業を始めたばかりの新米オヤジでした。
41年前の様子を記憶をたどって記します。
9月15日:夜半に山鳴り有り、遠くで「ズ・ズ~ン」と響く音が有り、何だか分からず突風でも吹いているのかな?と就寝。
9月16日:早朝、宿の屋根を修繕に来た大工が屋根の上で「山の上で煙りらしき雲が上がってますよ」と不思議がるのに対して、何だろう、噴火の前兆かなと返事をしながら当日の予定であった宿の従業員研修旅行(一泊二日)に出発。
9月17日:午後、帰途の国道46号線仙岩峠の砂利道で路肩に多数の車が駐車中、何事かと停車してみると、秋田駒ケ岳の三つ有るピークの一つ「女岳」より大量の噴煙が上がっているのを目視。急いで帰宅しようとするも、山奥の国道・県道の砂利道は見た事も無い大渋滞の有り様で、今で言う帰宅難民となる。
同日深夜:帰着すると、留守番の大工がパニクッて居り、鳴りっ放しの電話に出ると、報道各社の取材を受ける事となる。今帰着したばかりなのに。
質問:「地域住民の避難の状況はいかに?」
答え:大工に聞くと「だれも避難していません」その通り伝え、続いて「見物人多数で幹線道路も通行が困難である」事、また「多数の人々が徒歩3~4時間かかる登山道を噴火口見たさで登山中」と何件か正直に答えた処ろ、記者さん皆々絶句。その後取材の電話は無くなりました。で就寝。

  • 1970年頃
    旧田沢湖高原スキー場から高原ホテル・田沢湖を望む
  • 1970年9月
    噴火真っ最中の秋田駒ケ岳の「女岳」

【堀内勝彦プロフィール】 -----------------------
1941年 東京都渋谷区生まれ。
1970年 田沢湖高原ホテル社長に就任。
1971年 田沢湖高原旅館組合長に就任。
田沢湖町観光協会副会長、県旅館ホテル環境衛生同業組合副理事長など歴任。
現在、田沢湖高原温泉郷のまとめ役として活躍中。
仙北市田沢湖生保内住。

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